大判例

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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)3355号 判決 1981年4月27日

原告

甲野太郎

被告

株式会社産業経済新聞社

右代表者

鹿内信隆

右訴訟代理人

稲川龍雄

石塚文彦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一被告が日刊新聞の発行等を目的とする株式会社であつて、サンケイ新聞の発行者であること、昭和五二年六月一五日付サンケイ新聞社会面最上段に原告主張どおりの内容を有する本件記事が掲載され全国に頒布されたことは当事者間に争いがない。

二まず、本件記事が原告の名誉を侵害するものであるか否かについて検討する。

1  <証拠>によれば、本件記事は、サンケイ新聞社会面(一九頁)最上段に「自首してきた甲野太郎」との説明を付した原告の顔写真と共に、「刑務所暮らしの方がいい」、「五年前の強盗自首」、「出所男、物価高に降参」との三段抜きの見出しを付して掲載され、本文の内容は、昭和四七年九月に東京都文京区内の会社社長宅に強盗に入つた二人組の一人である原告が浪速警察署に自首してきたため、原告を緊急逮捕して身柄を警視庁へ移したうえ共犯関係の追及等の本格的取調べが始められていること、右強盗事件の概要及び犯人の行方がつかめず、三年前に捜査が打切られていたこと、原告はその一週間前に大阪刑務所を出所した者であること、自首するに至つた理由として、服役中に持病の心臓病が悪化したうえ意外な物価高で生活ができなくなり、福祉事務所の人に相談のうえ自首することにした旨述べているものであることが認められ、以上の事実に鑑みると、本件記事は、五年前に発生した強盗事件につき「甲野太郎」という出所後間もない男が自首したことを知らしめることを主目的とし、見出し部分では、さらに自首するに至つた動機を当時の物価高に関係させて強調したものということができる。

このように、本件記事は、五年前に発生した強盗事件につき原告が自首してきたことを報道するものであるから、それが原告の名誉を低からしめるものであることは明らかであるが、他方、右自首の事実は争いがないから、この点においては真実に合致し、かつそれが公共の利害に関する事柄であることも明らかである。したがつて本件記事が右の意味で原告の名誉を毀損したことについては、原告は被告に対し、その責任を問うことはできないものといわねばならない。

2  ところで、本件口頭弁論の全趣旨に照らすと、原告が本件記事によつてその名誉を侵害されたと主張するところは、右強盗自供を報道されたことによる名誉低下にあるのではなく、本件記事中見出し部分の、「刑務所暮らしの方がいい」、「出所男、物価高に降参」の部分と、本文中の、「この男、一週間前に刑務所を出所したばかりで『シャバに出たら物価高で食うに食えなくなつた』と自らお縄を受けに来たもの」、「調べに対し甲野は『服役中に持病の心臓病が悪化したうえ意外な物価高で生活できなくなり福祉事務所の人に相談して自首することにした』と“刑務所再志願”の理由をいつている」との部分をもつて原告の名誉を毀損するものとする如くである。

しかし、本件記事の報道の主目的が前項においてみたところにあることは本件記事の読者にも容易に看取できるばかりでなく、当時の物価高が社会問題化していたことは公知の事実であり、刑務所を出所後間もない者が物価高の影響を深刻に受けることは容易に推認できるところである。したがつて、被告又は担当記者において、出所後間もない者が持病の心臓病が悪化したことを訴えて五年前の強盗事件を警察に自供したことから、刑務所内における生活の方がむしろ暮らし易いと記載することにより、一見異常とも思われる原告の行動を誘発させたのは当時の物価高にあるのではないかとの見地を併せ表明することもあながち首肯できないことではない。原告が右に指摘する記事部分には、右のほか後に検討するような表現上世人の興味を引くことを意図したとみられるところもあるけれども、本件記事を全体として見るときには、前記主目的である原告の行動とその原因についての右の見地を記載した域に出るものではなく、原告指摘の記事部分をもつて原告の名誉を侵害するものということはできないものといわなければならない。

三もつとも、本件記事を掲載した被告又はその取材にあたつた被告の被傭者である斉藤記者において、原告の自首の動機をことさら歪曲、誇張したり、揶揄、粉飾する意図に出るものであるなら、その記事が一見原告の社会的、客観的評価に影響を与える程度のものではなくても、場合によつては原告のプライバシーの侵害にあたり、損害賠償責任を生ぜしめることもあると考えられる。そこで、本件記事の作成、頒布がこのような意図に出たものであるか否かについて検討する。

1  <証拠>によれば、本件記事報道に至る経緯は次のとおりであると認められる。

被告の社会部所属取材記者斉藤勉は、昭和五二年六月一四日午前一一時ころ、大阪府浪速警察署から警視庁捜査一課庶務係に「甲野某(原告)という男が昭和四七年東京都文京区内で起きた強盗事件について自首してきた」という電話連絡が入つたとの情報を得たため、右事実の確認をとるべく、浪速警察署に電話で問合せた結果、浪速警察署市民相談室の相談員で原告と応対した酒井正治警部補から、同日午前原告が市民相談室に現れ、刑務所を出所したが持病の肝臓障害、心臓不全で働くことができず、岡山に居る兄弟も相手にしてくれない旨及び所持金も一万〇四〇〇円程度でこのままでは行き倒れになつてしまうので福祉施設を紹介して欲しい旨相談してきたが、相談の過程で原告は昭和四七年に起きた強盗事件を自供したということを聞いた。斉藤記者は、次に右強盗事件の管轄署である本富士警察署に赴き、同署の広報担当者から新聞社に対し発表される広報案文を受け取つた。右案文には、原告が昭和五二年六月一四日午前一一時ころ右強盗事件の犯人として自首したため、浪速警察署は本富士警察署と打合せ検討した結果原告を犯人と認め、緊急逮捕し、その後、管轄警察署である本富士警察署に原告の身柄を移した旨の記載の他、右強盗事件の概要、原告の本籍地、住所、職業等に関する記載があつた。さらに斉藤記者は同日夜、警視庁捜査一課の刑事某の自宅を訪ね、ここで同刑事から、原告は前科一三犯であること、身体が悪く、食べていけないこと、所持金も一万円余しか持つていないこと、それで自ら刑務所を志願して来たらしいことを聞き込んだ。同記者は以上の各情報を総合し、原告の右行動は再び刑務所に入ることを予期したもので、そこには当時の物価高が影響しているものと考えて、右情報による事実に自己の考えを加えて、翌朝の新聞掲載に間に合わせるべく、本件記事の原稿を作成し、本件記事の見出しとほぼ同じ仮見出しを付して被告整理部に送つた。整理部においてさらに見出し等につき検討され、翌一五日のサンケイ新聞朝刊に、本件記事は掲載、報道された。

以上のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  次いで、原告が自首に至つた経過をみると、<証拠>を総合すれば、原告は、昭和五二年六月七日三年の服役期間を終えて大阪刑務所を出所したが、原告には右服役中から慢性肝炎、冠不全等の病気があつたこと、出所後大阪市内の旅館に寝泊りしていたが、体調が悪いため、まず病気治療を受けたいと思い、更生保護会や大阪市役所に保護施設への入所や医療保護の受給を求めたところ、施設が塞がつていたり、住居が定まつていないとの理由で断られたこと、出所後一週間を経た同月一四日午前一〇時ごろ浪速警察署市民相談室を訪れ、出所後身体が悪くて食物が採れず働くことができないで困つている旨及び福祉の世話を受け、病院に入りたい旨を述べたこと、同相談室の酒井正治警部補は、原告に身寄りを尋ね、岡山の身寄りへ連絡するか、大阪府行政課愛隣地区相談所へ行つて相談することを勧めたところ、突然原告は前記強盗事件について自供をはじめたこと、同警部補は原告が右事件について詳細な供述をするので、原告に対し相談を打切る旨を告げ、同署の刑事課に案内したところ原告はこれに応じたこと、原告は、出所時には現金二一万五〇〇〇円を所持していたが、宿泊費に支出したり、一部を紛失したりして浪速警察署に来たときは金一万〇四七〇円を所持するのみであつたことをそれぞれ認めることができ<る。>

3  右1、2に認定したところによると、原告の自首に至る行動及び自首の動機と、斉藤記者が取材しこれに自分の考えを加えて作成した本件記事の該当部分とは取り立てて異なることはないから、本件記事の右部分をもつて事実に反するものということはできない。もつとも、本件記事にあつては、原告が強盗事件の自供に先立ち、食物も摂取できない状態であるため病院に入り治療を受けたいと述べたことについての記載を欠き、物価高のため生活ができなかつたことを自首の動機として強調している点において、原告が自ら認識していた自首の主観的動機と、斉藤記者が取材情報に基づいて右自首の動機と判断したところとは差異があるということはできるが、これとても互いに相矛盾するという程のものではない。そして、1に認定したところによれば、斉藤記者が本件記事を作成するにあたつて、ことさら右の点についての事実を歪曲したとも、原告の自首の動機を軽卒に推理したともいうことはできない。<証拠>によれば、本件記事と同一事件を扱つた読売新聞、毎日新聞の各記事の見出しが、本件記事のそれと異り、読売新聞では「心臓悪くて食えぬ」、「出所男、四年半前の強盗自首」とあり、毎日新聞では「出所男が都内の強盗を自供」とあり、また右各新聞の本文の内容容は前認定の警察広報案文の域を超えないものと認められるが、そのことは、各新聞社が独自の取材、判断に基づいて特色のある自社の記事を構成することが当然容認されていることに鑑みれば、右判断を左右するに足るものではない。斉藤記者が、原告から直接自首の動機を取材していないとしても、当時原告が警察に逮捕され、取調中であつたことのほか、同記者が取材源から得た情報が前記のようであつたことに照らすと、原告からの取材を欠くことが取材上の義務の懈怠の非難を受けることはない。他に原告の自首の動機に関する記事部分が歪曲の意図のもとに、あるいは軽卒に作成されたことを認めるに足る証拠はない。

4  また、本件記事中の、「刑務所暮らしの方がいい」との見出し、「………自らお縄を受けにきたもの」とか、「………“刑務所再志願”の理由をいつている」との本文記事は、その表現方法において、世人の興味を引くことに重点を置いている感もなくはないが、前記1認定の事実に徴すれば、斉藤記者及び被告整理部は、服役を終え、出所後間もない者が、出所後の社会生活が困難であるとの理由で五年前の強盗事件を自首したこと自体に報道価値があると判断したものと窺われ、右判断も首肯し得ないことではないから、本件記事中の右の各表現をもつて、ことさら原告を揶揄する意図に出たものということはできない。

四以上のとおりであるから、その余の事実を判断するまでもなく、被告及び被告の被傭者である斉藤記者につき原告の名誉を毀損する不法行為があつたとして、被告に対し謝罪広告又は損害賠償を求める原告の請求はすべて理由がないことに帰する。

よつて、原告の請求はいずれも理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(大石忠生 大渕武男 鈴木ルミ子)

別紙 (一)<省略>

別紙 (二)

本件記事の内容

一 見出し

刑務所暮らしの方がいい

五年前の強盗自首

出所男、物価高に降参

二 写真説明

自首してきた甲野太郎

三 本文

さる四十七年九月、東京・文京区内の会社社長宅に強盗に押入つて逃げていた二人組の一人が十四日、大阪府警浪速署に「オレがやつた」と自首してきた。この男、一週間前に刑務所を出所したばかりで「シャバに出たら物価高で食うに食えなくなつた」と自らお縄を受けにきたもの。連絡を受けた警視庁捜査一課では現場の状況と男の供述がほぼ一致したため緊急逮捕、身柄を警視庁に移し、共犯関係の追及など本格的な調べを始めた。

自首してきたのは岡山県倉敷市生れ、住所不定、無職、前科十三犯、甲野太郎(四七)。

事件は五年前の四十七年九月二日白昼、文京区西片二ノ八、工芸品会社社長、山田広三郎さん(当時七十九歳、故人)方に、覆面をした二人の強盗が押し入り、山田さん夫婦にさるぐつわをしてケガをさせたうえ、現金二十万円などを奪つて逃げた。

本富士署では会社社長宅を狙つた計画的な犯行とみて捜査一課の応援で捜査していたが、結局、二人の行方はつかめず、三年前、事実上捜査を打ち切つていた。

甲野はこの事件のあと、四十九年春、大阪市内で恐かつ事件を起こしてつかまり、一週間前に大阪刑務所を出たばかり。調べに対し甲野は「服役中に持病の心臓病が悪化したうえ、意外な物価高で生活できなくなり、福祉事務所の人に相談して自首することにした」と、“刑務所再志願”の理由をいつている。

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